ブータンの総合病院の癌ユニット訪問

ヒマラヤの小国ブータンというと、日本では幸福の国として知られていますが、私Birdwatcher は昨年に引き続き今年の夏季休暇もブータンで過ごしました。ブータン訪問は3回目です。休暇とは言っても、昨年行ったブータンの市民社会に関する調査を拡大した、ちょっとした調査をするのが主な目的でした。そのついでと言っては語弊がありますが、首都のティンプーにある総合病院を訪問して、総副婦長さんと癌ユニットの看護師さんおふたりに、ブータンの癌治療の現状について伺いました。私自身がカロリンスカ(ソルナ)の癌クリニックで、ブラキー治療にたずさわっているため、癌ユニットに興味があったのが理由です。これはその簡単なレポートです。訪問した病院の名前は、Jigmi Dorji Wangchuck National Referral Hospital (JDWNRH)といい、第3代国王の名前がつけられています。

まずはブータンの医療システムの簡単な説明ですが、ブータンには3つのReferral Hospital(日本語で特別な訳があるのでしょうか?)があり、 JDWNRH(短くJDと呼んでいるようです)の他には、東部のモンガール、中部のゲレフーにそれぞれあります。モンガールとゲレフーの病院で手に負えない患者さんはJDに送られて来るそうです。その他に21の郡病院、その下にはBasic Health Unit (BHU) 1と2がありますが、医師がいるのはBHU1までです。また専門医がいるのはJDだけだそうです。

患者の経済的負担という面から見ると、スウェーデンの医療制度は非常に寛大な制度ですが、ブータンは更にその上を行っています。患者の経済的負担がゼロであるばかりでなく、ブータン国内で治療できない患者さんを主にインドに治療に送る場合も、交通費、滞在費も含め全て国が負担します。患者さんばかりか、エスコートがつかなければならない場合には、その人にかかる費用も全て国負担だそうです。現状ではブータン国内で行なっている癌治療は主に抗癌剤治療だけで、手術と放射線治療は主にインドのコルカッタに患者さんを送ってするそうです。ただその負担が非常に大きいので、放射線治療は早ければ来年にもJDで始める予定で、機器はすでに準備されていて、これから看護師さんの教育を始める必要があると、総副婦長さんがおっしゃっていました。

さて癌のお話ですが、ブータンで一番多いのは胃癌だそうです。総副婦長さんはブータン人が辛いものを食べるのが原因のひとつだと言われているとおっしゃっていましたが、後で看護師さんからお話をうかがったところでは、ヒトパピローマウィルスが原因となっていることが多いのだそうです。全国をカバーしている癌登録によると、胃癌に続いて子宮頸癌、乳癌、卵巣癌が多いそうです。現在のところ子宮頸癌のスクリーニングは35歳以上の女性に行われているそうですが、マンモグラフィーは導入されていなくて、他の癌のスクリーニングもないということでした。スクリーニングが導入されたとしても、山がちで交通網も発達していない地方では、医療機関へのアクセスも極端に限られているので、国民を広く網羅するスクリーニングの導入は大きなチャレンジと言えるでしょう。

多くの患者さんのケースで、診断を受ける時にはすでに後期癌という状況だそうです。すでに転移している場合が多く、そういう患者さんへの抗癌剤治療はJDで行なっていますが、運よく早期発見で手術や放射線治療が有効な患者さんの場合は、上記のようにインドに送られます。患者さんをインドに送る手配をできる病院は、全国でこのJDのみだということです。

基本的に長期入院の患者さんというのはいなくて、例えば3−4日かかる抗癌剤治療を受ける患者さんは入院しますが、その他の患者さんは通院になるそうです。患者さんは通常病院に入院することを望まず、現実的に言ってしまえば自宅で死を迎えたがるので、退院や治療の終了に際しては、家族に痛み止めやその他の副作用に対応する薬の投与の仕方などを指示して、自宅に帰すのだそうです。また田舎の方に行くと、人々は自分が癌を患っているなどということを隣人に知られたくないと考えるケースが多いので、そういう社会的な事情も病院は考慮する必要があるというお話でした。こういうお国柄なので緩和ケアの施設は発達していなくて、前国王の一番末の妹さんのイニシアティヴでJDに緩和ケアのベッドが3床だけ設けられているということでした。訪問看護もないので、自宅での看護は家族が負担します。

次に看護師さんについてですが、他の多くの国と異なって、ブータンでは看護職は女性職という考え方は昔からなく、看護師さんの間に占める男女の割合も半々に近いのだそうです。私がお話を聞いた看護師さんは男女それぞれ1名ずつで、おふたりとも私の訪問時には抗癌剤治療にたずさわっていらっしゃいました。

JDでもカロリンスカと同様、抗癌剤の治療の決定は医師が行いますが、実際の治療は抗癌剤治療の教育を受けた看護師が行うそうです。お話を聞いてみると、ブータンの看護師さんたちもスウェーデンの看護師さんたちと同様、かなり重要な仕事を任せられ、大きな責任を負っているようです。抗癌剤に使う薬は、以前は病棟で看護師さんが調合していたそうですが、10年くらい前から薬局が担当するようになり、今では薬局の中でも抗癌剤の調合をするセクションは分かれているとのことでした。

ブータンでは全ての病院は国営なので、看護師さんたちは公務員です。女性の方の看護師さんはまだ若い方で、高校卒業後にタイで4年間看護学の勉強をしてブータンに戻り、公務員試験を受けたのだそうです。この試験に合格したら、どの病院に勤務するかは政府が決めます。彼女はJDに勤務して2年目だそうですが、腫瘍学に興味があるので、半年ほどのスペシャリストのコースを取ろうと考えているとのことでしたが、総副婦長さんからは修士に進むように励まされていました。

男性の看護師さんはもっと年上のようで、ブータンで2年間看護の勉強をしてディプロマを取り、その後タイで1年間腫瘍学の勉強をしたのだそうです。彼は看護大学では勉強していないわけですが、ブータンでよく見られる、継続学習でキャリアを積んできた人です。彼が看護師になった時代には、看護師の需要が多いのに供給が追いつかなかったので、公務員試験を受ける必要はなかったのだそうです。今では供給が需要を上回っているので、公務員試験はある意味でふるいの役割を果たしているとのことでした。

ひとつ面白いと思ったのは、ブータンでは看護師になると助産師としても働けるということで、例えば小児科で突然助産師の手が足りないとなると、別のユニットの看護師さんが臨時に送り込まれたりするのだそうです。日本でもスウェーデンでも、普通の看護師さんが助産師として働けるという話は聞いたことがないので、これには少し驚きました。

数年前に休暇でコスタ・リカに行った時も、公共の病院ではたとえ観光客でもお金を払う必要はなく、薬も無料でもらえるということを知って驚いたのですが(事実患者として診療所にかかったのです)、他の国の医療事情を知るのは面白いですね。

# Birdwatcher

 

2 comment on “ブータンの総合病院の癌ユニット訪問

  1. Lisa Indra Reply

    他国の医療事情を知るのって面白いですよね。
    医療費がただの国は他の国から「医療難民」が来たりしないんだろうか?などと思ってしまいました。スウェーデンにはそれに近いような方をたまにお見掛けするので。

    「手術と放射線治療は主にインドのコルカッタに患者さんを送っている」とのこと。スウェーデン国内では、Gotlandの患者さんはStockholmで放射線治療を受けます。Gotlandで放射線の機械を保持しても、採算が取れないからだと思うんですが、ブータンでは国レベルなんですね。ふむふむ。

    「山がちで交通網も発達していない地方では、医療機関へのアクセスも極端に限られているので、国民を広く網羅するスクリーニングの導入は大きなチャレンジと言えるでしょう」のくだりでは、大昔の日本の胃がんのスクリーニング(胃の透視、いわゆるバリウム検査)を思い出しちゃいました。医療機関のアクセスの悪い場所へは検診車が回って行ってスクリーニングの普及度を上げていたような…。

    助産師に関しても、国が違えばですねー。面白いレポートをありがとうございます。

  2. Birdwatcher Reply

    ブータンは国の幹線道路も、場所によっては車1台しか通れないようなところもあり、すれ違う場合はどちらかがバックして道を譲り合わなければならないような道路事情ですから、検診車が巡回するのもほぼ不可能なのです。地方に診療所ができても、そこまで歩いて数日かかるような場所もあります。雨季には土砂崩れで通行止めになることもしばしばで、救急車も救急車としての機能は難しいのです。だから病気になったら死を覚悟というのも、大げさな表現ではないような気がします。話は変わりますが、定年された日本の外科医の先生たちが、毎年ボランティアでブータンに行って地方を回り、耳に問題のある人たちの手術をしているそうです。

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